浅野町の守獅子(平成11年発行 浅野町公民館50周年記念誌より抜粋)
町内の有志が、かねて石川郡大野郷に住む中村屋弁吉(大野弁吉)に依頼してあった獅子頭が、三年六ヶ月の年月を費やして、天保十一年(一八四〇)三月一日に、ようやく出来あがった。
この獅子頭は、名工弁吉も一生を通じて比類のない出来栄えに自ら感歎し、一晩中、目を離さなかったほどで、とくに「一東」の号を刻銘したという。この獅子頭には皮などで被覆することのないように、弁吉が特に町内の有志に申し添えたといわれ、現在まで口伝されている。あるとき、町内の世話役が、獅子頭が傷つくのを恐れて白衣で包んだところ、夜中に奇声を発して鳴き続けたとの昔話も伝えられている。
浅野神社の祭礼のたびに、必ず神前に獅子舞を奉納し、町内の住人の禍を払い、福の来るのを願うべく各戸の前で祝い舞を演ずるのを慣わしとしてきた。ある年、不景気のため獅子飾りの行事も出来なかったことがあった。その夜、町内の世話役の枕辺に、白衣の御神体が出現され、「われ、町内の獅子の化身にてある。今年の祭礼に、不幸にて我を祭ることのなかりしを惜しむ。われは町の守護者にてあるぞ。必ず誠意を以って、われを祭られよ」と告げられた、との説があり、それ以来、浅野神社の祭礼には必ず獅子飾りを続けているという。町内では天保十一年三月以来、一度も火災が起きていないのも、思えば不思議な霊験である。 現在もこの獅子頭は俵屋に保存され、浅野神社の祭礼には浅野町上組町会・下組町会・小橋町会の順で獅子飾りが行われている。
金沢北ロータリークラブ発行「金沢北地域誌・香我の譜」の会員随想より
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